「『著作者人格権を行使しない』という特約のある契約を強要された」という報告が増えています。
今や、著作権譲渡問題と並ぶ大きな問題となっています。
「著作者人格権を行使しない」という特約のある契約書の一番の問題は、「イラストレーターから必要以上に広い範囲の権利を取り上げること」にあると考えます。
イラストレーター仲間の間で、「著作者人格権を行使しない」と書かれた契約書のことが話題に上り始めたのは、確か6−7年程度昔のことだと記憶しています。
私自身は、25年以上前からイラストレーターをしてきて、「著作者人格権不行使」の契約書は一度も求められたことがなかったです。
特に増えてきたのはここ4、5年のことではないかと思います。
報告が増えてきたため、私もよくわかっていなかった著作者人格権のことを調べててみました。
調べていく中で、「こうした契約書は必要以上に、イラストレーターの権利を取り上げることになる」ことに気がつきました。
著作権関連本を20冊程度は読んできましたが、そうした問題を明確に指摘したものが見つかりません。
もちろん、著作権の専門家向けの書籍の中には扱っているケースもあるだろうとは思いますが、、、
ひょっとするとこのことは、イラストレーション発注担当者はもちろん、弁護士でさえ十分に理解していない可能性があるのではないか? と感じます。
この記事では、
「必要以上に広い範囲の権利とはどういうことなのか?」を解説します。
そして、イラストレーターの仲間が幸せに仕事をしていくための
「イラストレーション発注者とイラストレーター双方が納得できることを目指した解決策」を示したいと思います。
【著作者人格権の解説】
まずーー
著作者人格権の内容から解説します。
著作者人格権には、主に、次の4つがあるとされています。
1)公表権(著作権法18条)
2)氏名表示権(著作権法19条)
3)同一性保持権(著作権法20条)
4)名誉声望保持権(著作権法113条6項)
一つ目の「公表権」とは、未発表の作品を世に出す権利です。
イラストレーターは、いつどんな形で作品を公表するか決める権利を持ちます。
二つ目の「氏名表示権」は、著作物を公表する際に、どんな名前を表示するか(実名、芸名、ペンネームなど)、あるいは名前を表示するのかしないのかを決める権利です。
三つ目の「同一性保持権」は、作品を勝手に修正・改変されない権利です。多くのイラストレーターにとって、作品は自らの分身です。
感情や思想、そのものを込めて描きます。
何かの都合で、変更を加えられることに、大きな抵抗感があることも少なくありません。そうしたイラストレーターの心情を保護するのが、この権利です。
そして4つ目の「名誉声望保持権」は、著作者の名誉や声望を貶めるような利用を禁じる権利です。
著作権法113条6項では「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。」とされています。
例えば、美術作品を風俗店の宣伝に使うことなどが、名誉や声望を貶めるような利用に該当すると考えられます。
【著作者人格権不行使の契約を結んだ際の問題点】
一番の問題はーー
「『著作者人格権を行使しない』という特約があまりにも広い権利の不行使を含みすぎている点にある」と、私は考えます。
そのことは、「著作者人格権不行使」の特約がある契約を結んだイラストレーターがどんなことになるか考えてみると分かるでしょう。
「氏名表示権」を行使できないイラストレーターはーー
たとえば、勝手に違う名前のクレジットを入れられても、文句を言えなくなります。
「同一性保持権」を行使できないイラストレーターはーー
魂を込めて描いた作品の構図を大幅に変えられ、人物の表情もポーズも違うものにされたとしても、黙っているしかありません。
「名誉声望保持権」を行使できないイラストレーターはーー
作品がアダルトサイトに使われても、カルト宗教で使われても、極端な政治思想に利用されても、文句を言えなくなります。(※注1)
「一般向けのゲームのためにで描き下ろしたイラストレーションが、一糸まとわぬ姿に改変されてアダルトゲームに使われた」という事例は、実際にあります。
【「切ないエッチシーン満載で…」乙女ゲームのイケメン、エロゲーで〝野獣〟に 女性マンガ家が怒りの提訴】
この事例では、イラストレーションを担当した漫画家が裁判で勝利しました。
でもそれは、「著作者人格権不行使」の契約書を交わしていなかったからだと推測されます。
もし、同一性保持権と名誉声望保持権を含む著作者人格権全般が行使できないのだとすれば、この漫画家にとって、裁判はかなり難しいものになっていたでしょう。(※注2)
大変残念なことに、一部の弁護士は、「企業のリスク回避のため」と称して、「著作者人格権を行使しない」という特約のある契約を奨励しているようです。
多くの企業や出版社は、その弁護士のアドバイスに従って、深く考えることなく「著作者人格権を行使しない」契約書を作っているように感じます。
確かに、この契約は企業がイラストレーターから訴えられるリスクを回避する効果があります。
しかしその一方で、イラストレーターの大事な権利を取り上げることなるのです。そのことをよく知ってほしいです。
企業の論理を優先させるあまり、イラストレーター権利のことを忘れないようにお願いしたいです。
そもそも、この著作者人格権はイラストレーターを始めとする創作者の心情を守るための、とても大事な権利だからこそ、法律では「譲渡できない」と定められているのです。
それを「著作者人格権を行使しない」と、うまく言葉を操ることで、結果的に譲渡したも同然としてしまっていいものなのでしょうか?
たとえば、基本的人権もけっして奪ってはいけない権利です。
なのに、「基本的人権を行使しない」という契約書を作ったとしたら、、、はたしてそれは許される行為でしょうか?
ある企業が、全社員に「労働者としての権利を行使しない」という契約書を強制したとしたら、それは問題ではないのでしょうか?
【著作者人格権不行使の契約にかわる解決策】
ではどうしたらいいのか?
イラストレーターの権利を尊重しながら、しかも企業の業務をスムーズに進めることはできるのか?
私はできると考えます。
イラストレーターの仲間が幸せに仕事をすることができるように、しかも企業の皆さんの業務にしようがないように、私なりに考えた解決策を説明させてください。
まずーー
企業や出版社がこの「著作者人格権不行使の特約」を契約書に盛り込みたい理由は、
・業務を進めていく上で、イラストレーションをトリミングする必要が出てくることがある
・色を一部変更する必要が出てくることがある
・氏名を表示できないケースが有る
という3点が大きいのではないでしょうか?
イラストレーションを業務に使う上で、名誉声望保持権を取り上げる必要はないはずです。(あったとしたら怖すぎます)
他の作者名をクレジットする必要もないはずです。
業務に必要のない、しかもイラストレーターにとってとても重要な、名誉声望保持権や氏名表示権まで含む権利を取り上げるのはおかしいのではないでしょうか?
安易に、業務上必要がない権利まで、取り上げないでほしいのです。
たしかにーー
企業が業務をスムーズ進めるためーー
・イラストレーションをトリミングする必要が出てくることはあるでしょう。
・色を変える必要のあるケースもあると思います。
・広告などでは氏名を表示しないことも理解できます。
ならばーー
著作者人格権の全体を取り上げるのではなく、業務上必要な範囲に限定した不行使特約を盛り込んだ契約にすればいいのではないでしょうか?
解決策1)契約書に、「イラストレーターは、著作物の個性を損なわない範囲において多少のトリミングを承諾する」と盛り込んでおく。
解決策2)多少の色の変更が必要な場合は、「イラストレーターは、著作物の個性を損なわない範囲において多少の色の変更を承諾する」とする。
解決策3)広告では名前を表示しないことも多いです。そうしたケースであっても、「広告においては、著作者の氏名を表示しない」などと、氏名を表示しない場面を契約書に明記しておく。
これでも多くの場合、問題なく業務を進められるのではないでしょうか?
これでは対応しきれないケースもあるでしょう。
そうした場合はその事案に合わせて契約書の文面を工夫することで、「著作者人格権の不行使」にせずに済むことがほとんどだと思います。
例えばーー
アニメーションの元絵をイラストレーターに依頼する事案を考えます。
この場合、この仕事の性質上、ポーズや表情が変えることが必要です。
こうしたケースでも、安易に「著作者人格権の不行使」を求めるのではなくーー
「イラストレーターは、アニメーションにおいて、ポーズ、表情、構図、トリミング等が変わることを了承する。」と取り決める方法が考えられます。
仕事の性質上、イラストレーションを大きく改変する必要があって、そのことをイラストレーターが了承するのであれば、
「イラストレーターは、作品の改変を了承する。」
とする方法も考えられます。
ここに、「ただし、あまりにも大幅な改変の際は、依頼主はイラストレーターに相談する」と付け加えると、イラストレーターはより安心できるかもしれません。
どこまで改変を許容するかは、イラストレーターによって違います。
契約書作成時は、不行使の範囲をどうするのかについて、ご依頼のイラストレーターと十分な話し合いを持っていただけると幸いです。
イラストレーションの発注担当の皆様、「著作者人格権を行使しない」とする特約について、今一度、慎重に考えていただけるとありがたいです。
誠実に話し合えば、ほとんどのケースで双方が納得できる契約は可能だと信じています。
(※注1)
「著作権譲渡+著作者人格権不行使」の契約の場合に、イラストレーターの名誉を貶める用途に承諾なく流用することが可能になります。
「著作者人格権の不行使のみ(著作権譲渡はしない)」の契約であれば、イラストレーターの承諾のない用途に流用することは出来ません。
(※注2)
アダルトゲームに流用されたような事案において、
著作者人格権不行使の契約を結んでいたとしてもーー
「こうした利用を差し止め、賠償金を請求する」裁判に訴える手はあります。
著作者人格権不行使の契約が有効かどうかは諸説あり、戦う余地はあるでしょう。
しかし、そうした難しい裁判を戦うことは、多くのイラストレーターにできることではありません。
勝てるかどうか確実でない裁判に大金と時間と労力をかけたいイラストレーターはほとんどいないはずです。
そうしたリスクを抱え込まなければならない理由が、イラストレーター側にあるでしょうか?
※この文章を書くにあたって、顧問弁護士より様々なアドバイスも頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
※2020年7月13日、再び、加筆修正しました。